経験と体験は同じような意味を表す言葉ですが、微妙にニュアンスが異なっているような気がします。
経験と体験、それぞれの言葉の意味と違いを解説して、類義語についても紹介します。
経験と体験の意味や違いは?
経験や体験は、どちらも見たり聞いたりすることを意味していますが、少し意味が違っているような気がします。
例えば、体験は「自分の体で経験すること」のように、説明をするのに「経験」と言う言葉を使って説明しているのがスッキリしないような気がします。
経験と体験の違いはどこにあるのでしょうか。
経験
経験は、実際に見たり聞いたり実行したりすることを意味しています。したがって「未経験」という言葉の意味は、実際には見ていないし、聞いていないし、実行していない状態です。
また「経験」には、何かしらの付加価値があるというニュアンスがあるように考えられます。
例えば、「経験」を積むことに対して、「無駄になる経験はない」とか「良い経験をした」のように前向きな意味合いで「経験」という言葉を使うことが多いと考えられます。
当然、「ひどい経験をした」、「つらい経験をした」、というように使われることもありますが、それは修飾語によって文章としての意味が生じてしまうからです。
「それも経験だから」や「経験が大事だよ」という文章における「経験」は何らかの価値があることを前提に使われる言葉であると考えられるのです。
また、「経験」には経験自体で自分自身の能力やスキルが上がるという意味が含まれているではないでしょうか。
例えば、経験を積むことによって「経験値」が上がる、という言い方はしますが、あまり「体験値」が上がる、とは言いません。
少し哲学的になるかもしれませんが、経験と言うのは自分が意識していないところで実際に見たり聞いたりすることを指します。
つまり、自分の意識とは全く関係のないところで体験されるものを経験というのです。その行動自体は、自分が明確に自覚した意識に基づいて行われる行動ではないということになります。
体験
一方で、体験は「体験」そのものという意味合いが強い言葉です。どういうことかというと、「人生経験」とは言いますが、「人生体験」とはあまり言いません。
また「怖い体験」や「戦争体験」のような言葉は一般的に使われますが、これらの言葉に体験ではなく経験を使うと、「実際に経験したこと」というニュアンスが薄くなるような気がします。
初めて経験することを「初経験」、あるいは「初体験」と言いますが、一般的には「初体験」の方が多く使われる言葉でしょう。
また、「初体験」は、初めての経験そのもの、という意味合いが強く、望んでいるかどうかは別にして、その経験をする際に自分の意思が介入しているような意味合いを感じます。
「経験」は、(言い過ぎかもしれませんが)誰でも行おうと思えばできること、あるいは意識していなくても体験できるもの、という意味合いが含まれているような言葉です。
「体験」の場合は、その人にとっては特別な強烈な意味のある経験に対して使われる言葉ではないでしょうか。
そして、そこには経験したい(あるいは、経験したくない)という自分の意思が介在している言葉としてのニュアンスがあるように感じます。
「経験」は、自分自身の行為で得られた知識やスキルも含めますが、体験は、自分自身がどう感じるかに比重が置かれています。
つまり、「体験」に比べると「経験」の方が広い意味を含んでいる言葉で、言葉の概念からすると、「経験」は「体験」の上位概念であると言えるでしょう。
どのような類義語がある?
経験や体験と似たような言葉と意味の違いなどについて解説します。
「経験」する、と同じような意味で使われる言葉は、「味わう」や「舐める」といったものがあります。
例えば、「負けを味わう」や「苦杯を舐める」のように使われれます。どちらも勝負に負けた経験を表している言葉です。
単に「敗北を経験する」とするよりも、負けて悔しい心情がダイレクトに伝わる表現です。ただし、「味わう」や「舐める」は、「経験するより」も使われる場面は限定的です。
例えば「受験を経験する」は一般的に使われる言葉ですが、「受験を味わう」や「受験を舐める」とはあまり使いません。
経験したことに何らかの意味合いを持たせたい時に使われる言葉だと考えられます。
次に、身体的にあるいは心情的に何かを経験する時などに、「得る」や「受ける」という言葉を使うことがあります。
例えば、励まされた経験を「励ましを受ける」のように使うのは一般的でしょう。
また、特定の能力を身に付けるような経験をした時には、「習熟する」という言葉を使う場合があります。
ただし、「習熟する」は一般的な「経験する」という意味ではないので使う場面を選ぶ言葉であることには注意が必要です。
次に「体験」の類義語ですが、「経る」と言う言葉は「体験する」の言葉の代わりによく使用されます。
例えば「高校時代を3年間体験した」は「高校時代の3年間を経た」のように言い換えることができます。
「経る」は単なる時間の経過を説明している言葉ではなく、自分自身の経験を含んだ状況を説明している言葉になります。
また、「乗り切る」という言葉も「体験する」の意味で使われる言葉です。例えば「二度の事故を体験した」は「二度の事故を乗り切った」としても同じような意味になります。
「乗り切る」の場合は、自分に特有の経験が発生して、そこは自らの意思で対応する、というニュアンスがあります。
したがって、どのような「体験」にでも使えるわけではなく、一般的な体験の場合は使えないでしょう。
例えば、「花を摘む体験をした」は問題ないですが、「花を摘んで乗り切った」では意味がわからなくなってしまいます。
「乗り切る」と同様に、「加わる」と言う言葉を「体験する」という意味で使う場合があります。
例えば、サッカーの代表チームを「体験した」、はサッカーの代表チームに「加わった」と言い換えることが可能です。
この「加わる」という言葉も、どのような状況でも「体験する」と言う意味で使える言葉でないことには注意が必要です。