お寺は仏教、神社は神道、とそれぞれ関係があることは、多くの人が知っているかもしれませんが、お正月の初詣や願掛けや七五三のお参りに行く場所がお寺か神社か、を気にしている人はそんなに多くはないのではないでしょうか。

現代になっても、日本人の生活とはなかなか切り離すことのできない、深い関係があるお寺と神社について、その違いなどを解説します。

 

 

お寺と神社は何が違うのか


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お寺には仏様が奉って、神社には神様が奉ってあると言う人がいますが、そもそも仏様と神様の違いを明確に説明できる人は少ないと思います。

後述しますが、仏教と神道は別々の宗教ですが、日本の場合は特殊な事情でどちらの宗教も大きく対立することはなく人々に受け入れられてきたという歴史があります。

お寺の仏教と神社の神道とはそれぞれどのようなものなのでしょうか。

 

宗教

 

宗教としては、仏教と神道は全く別のものです。神道はどうやって成立した宗教なのか、はっきりしたことはわかりませんが、仏教は明確です。

仏教の開祖はインド(現在のネパール)のゴータマ・シッダールタです。お釈迦様(釈迦)と言った方がわかりやすいかもしれません。

釈迦はインドの貴族階級の出身でしたが、人々が生きていくことに苦しみ、悩んでいることからの解放を目指して仏教を始めました。紀元前450年頃と言われています。

その後、仏教は様々な考え方に分派しながら、インドから中国に伝わり、紀元前後頃に日本にも伝来します。日本に伝わった仏教を大乗仏教と言います。

 

 

仏教の基本的な考え方は、解脱、輪廻転生、因果論、などです。解脱とは仏教を信仰する人であれば全ての人が目指すもので、生きていることの苦しみから解放されることで、修行により解脱することができる、とされています。

輪廻転生とは、人間は生まれる前の前世での罪や業(カルマ)を背負って生を受けるので、修行によって現世で徳を積むことによって、来世ではより素晴らしい人生に生まれ変われるとする考え方です。

逆に現世で罪深い人生を送れば、よりひどい境遇に生まれ変わる、として、きちんとした人生を送るようにすすめる教えの根拠となるものでもあります。

さらに、仏教の仏教らしい教えとしては、原因があるから結果があるという考え方(因果論)があります。

因果論に対する考え方に運命論(宿命論)というものがあり、欧米や中東では普通に受け入れられている考え方です。

 


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例えば、皿を割ってしまったときに、因果論では「私の不注意で皿を手から滑らして落としてしまったので割れた」となりますが、運命論では「この皿は今日ここで割れる運命にあったのだ」となります。

後者の考え方は、日本人には違和感があるかもしれませんが、このような考え方を持つ人々も世界にはたくさんいることを知っておきましょう。

余談かもしれませんが、この考え方の違いが「日本人はすぐに謝る」、「外国人は簡単には謝らない」という態度の差に繋がっているのではないでしょうか。

このように仏教とはもともと外国の宗教ですが、日本に伝来すると日本独特の文化にも影響を受けながら発展してきたのです。

一方、神道とは日本古来の八百万の神々を信奉する土着の宗教です。開祖や教義も存在せず、地縁や血縁で繋がっている共同体を守る手段として用いられたものなので、地方により独特の発展を遂げた神道もあります。

ご神体も自然物とすることが多く、山や川などを崇拝対象とするアニミズムを神道の原型とする考え方もあります。

四季がはっきりしていて、自然の恵みと脅威にさらされて生きてきた先人たちの知恵や工夫が神道という考え方に結実していったと考えられます。

このような神道をベースとする日本人の考え方に仏教はうまく合致することになりました。

 

 

現在でも、伊勢神宮や出雲大社のように、天皇や国家の行事と縁の深い独自の神道(神仏分離)行事を行っているところはありますが、多くのお寺では神社との融合が図られるようになったのです。これを神仏習合と言います。

神社では、仏教の国家鎮護の考え方を受け入れ、神社内に神宮寺を建設することが6世紀末以降から始まります。

一方お寺側も、神道の神様を仏像にすることにより、お寺のご本尊として奉るようになっていきました。
本地垂迹という、「仏様が民衆を救うために、仮の姿である神様として現れた」とする説も唱えられるようになります。

こうして、神道の神様が仏像になり、神社にお寺があるという景色が日本では当たり前になっていくのです。

 


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長い歴史の中では、明治時代のように国家神道を推進するような動きもありましたが、一般庶民の生活においては仏教と神道は並存することになり、お寺と神社を峻別するようなことはありませんでした。
寺の庭

 

建物

 

前述したように、お寺の中に神宮寺を建立するようなこともありますが、お寺と神社では建物の構成が異なっています。

お寺の場合は、山門、本堂、僧堂、参道、手水場、などで建物が成り立っています。特徴的なのは山門でしょう。

元々お寺は山の上に建てられていたこともあり、この門から内側はお寺の領内である、ということ示すものでもありました。

また、お寺は、昔は強い権力を持つ勢力でもありました。山門の内側は寺の権力が及ぶ場所(他の権力が侵すことのできない聖域)として確立していたのです。

日常と非日常を分断する境目として山門は機能しているのです。また、お寺は僧が修行をする場所でもあります。

僧の生活場所として、寝泊りする場所以外にも、台所やお風呂なども備えているお寺も多くあります。

一方、神社は、鳥居、本殿、拝殿、参道、手水舎、などで構成されています。神社の場合は、鳥居が特徴的な建築物でしょう。

お寺の山門は人間が決めた境界(権力が及ぶか及ばないか)ですが、鳥居は神様の領域か人間の領域かをはっきりさせる目的で建てられたものです。

つまり鳥居をくぐって神社の領域内に入るということは、神様が住んでいる世界にお邪魔する、ということになるのです。

言い換えると、お寺の山門をくぐっても人間界の中での移動に過ぎませんが、神社で鳥居をくぐるということは人の世界とは異なる世界に入り込む、という違いがあるのです。
山門

 

参拝方法

 

お寺と神社では参拝する方法にも違いがあります。お寺から説明します。

 


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まず山門に入る時ですが、お寺には仏様がいるので、胸の前で手を合わせて軽く礼をした(合掌した)状で、右足から山門をくぐります。なお、男性は左足から入るようにします。

敷居を踏んではいけません。次に手水ですが、左手から初めて、右手、口、左手、柄杓の柄、の順番で洗うようにします。柄杓に一杯の水だけで全手順を済ませます。

お賽銭を静かに投げ入れて、合掌したまま一礼します。合掌する時に祈願をするとよいでしょう。

お寺によっては焼香や線香などが用意されている場合があります。焼香は親指と人差指、中指の3本の指でお香を摘んで、額の前で掲げます。

そして、左手を軽く添えて、お香を静かに香炉に入れます。線香は近くにあるロウソクで火を付けますが、口で吹いて消さずに、手で仰いで消すようにします。

山門から退去する時にも、本堂に対して一礼するようにします。次に神社の参拝方法について説明します。

神社で鳥居をくぐる前には身だしなみを整えましょう。鳥居をくぐる前には軽く一例をします。

手水の使い方は、お寺の場合と違いはありません。神社の本殿に向かう参道では道の端を歩くようにしましょう。真ん中は神様の通り道だからです。

拝殿の前では軽く一礼します。賽銭と鈴を鳴らすのはどちらが先でも問題はありません。そして、二礼二拍一礼をします。

礼の角度は90度が理想です。この、二礼二拍一礼は、神社によって少し作法が異なっています。

有名なところでは、出雲大社の四拍手や伊勢神宮の八拍手などがあります。最後に、軽く頭を下げて礼をします。そして、帰りも参道の端を歩き、鳥居を出たら再び軽く礼をします。

このように、お寺に比べると神社の方が参拝のルールが少し厳しいと感じるかもしれませんが、神様の世界にお邪魔するための作法なので、しっかりとルールを守って参拝するようにしましょう。
神社